あの頃はホントにホットだったというコラムを久々に書かせていただきました。
タイトルは、レッドホットチリアミーゴーズ。Chocolatmagさんのウェブマガジンです。
暑苦しい文章で申し訳なし〜。

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Red Hot Chili Amigo

人生この上ないアウトローな生活の始まり。

美大受験に見事に失敗し、何とも不安定な浪人生活が始まった。
「浪人」と活字で読むとサムライか何かみたいですね。。。

浪人生活というと、ピカソの青の時代のように若干青みがかったグレイッシュな時代を想像しますが、僕の過ごしたその2年間は、ある先生のお陰で妙にレッドでホットでチリペッパーな毎日となった。

大学に受かるなんてクソくらえ!みたいな教育方針の西村先生をまず弁護しておきますと、美大浪人というのは、長いアーティストとしての人生の始まりですので、大学受験用のノウハウよりも、もっと大きな意味でのモノの見方や考え方を教えようとしてくださったはずです。

例え、人が一生懸命に色面構成の課題に取り組んでいる机を揺らして邪魔をしながら「これで地震がおきても、おまえは合格するでー」とニヤニヤするのも単なるジョークでありつつ、「こんな色面云々していて何の役に立つねん!」という日本の芸術教育への鋭いアンチテーゼだったのでしょう。たぶん。

その笑顔、そのブロンゼーな表情は、(ブロンゼはフランス語で、日に焼けて健康的なという意味) 簡単にいうと浅黒いその表情は、日本的ではなく、タイかバリ島かどこかの南の風を感じさせる。描かれるその絵は、そんな感じのレッドでホットでチリペッパーだった。

アミーゴ! 生徒は彼をそう呼んだ。

アミーゴ先生はその事実を公にしていたので、ここで、インターネット的に公にさせていただきますと、アミーゴ先生は「色弱」だったんです。中間トーンの識別が難しく、ハイコントラストぎみに見えるそうで、普通に描くと原色のぶつかりあいで、自然に南の風を感じられるんじゃないかな?

南極のエスキモーが同じような雪の白を何通りにも識別できるのは有名な話ですが、アミーゴ先生が使う原色には、僕には見分けがつかない階調があるんじゃないかな? アミーゴ先生はよく「生っぽい黒」とか「生っぽい赤」とか言われていた。その頃、いろいろ考えたあげく、自分なりに得た答えは、鉛筆の黒だったら、最終的に欲しい黒まで何層も塗り重ねるのではなく、一発で塗り上げること。絵の具の赤だったら、混ぜ物がなく、一筆でキメること。。。と思っていたのですが、いかがでしょうか?

色彩がソフトで印象の弱い僕の絵はアミーゴ先生の評価が低かった。もちろん技術的に足りない部分も多かっただろうが、本当はよく見えなかったんではw?

という経緯から、古典的印象派の僕の絵は、より強く、簡単に言うと派手な絵作りを目指した。コントラストがあり、キレがあり、タッチにもパワーがある。そして色は赤。表題のレッドホットチリペッパーだ。

たくさんのメーカーの赤い絵の具の原色を紙にならべ、一番派手なものを選んだ。使っているうちにより刺激を求めるようになり、蛍光オレンジやピンクを混ぜて使うようになった。もう病気ですね。
※実際の受験では、絵の具は大学から支給されますので、自作の絵の具を使用する事は違反行為ですので、受験生の皆様は真似しないでくださいね。

そんなアミーゴ先生にやられちゃった僕は、ゴーギャンが好きになった。タヒチの深い木々を背に、それこそブロンゼーな女性達がゆったりと腰を降ろしている。そしてその脇にはとれたてのキウイ、パパイア、マンゴだね。熟したその美しい赤色に魅了されたものでした。

数年後、ゴーギャンの原画を見る機会を得た。大阪の大丸百貨店7階催場、まるでフランス近代絵画とはほど遠い空間でw。

僕はその頃、常にパントーンの色見本帳を持ち歩いては、色を調べるようなことをしていたので、その時もすかさずマンゴの色をチェックした。その色はどのチップよりも鈍く、赤褐色と言った方がいいだろう。マンゴもブロンゼーだった。まさに、色は調和の中でこそ、その個性的な色彩を活かせるのだと、実感した出来事でした。

あの頃から20数年、もう一度、絵を描いてみようとか思っています。さて、どんな赤を使うのか!?
 
父の教訓④ 男はブロンゼー、マンゴもね。

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